「小鳥遊六花・改 ~劇場版 中二病でも恋がしたい!~」
1970年代の東映まんがまつりや東宝チャンピオンまつりは、テレビで放送したアニメをそのまんま上映していた。
今だと映画をテレビで見るが、昔はテレビ番組を映画館で見ることが時々あって、親が「テレビで見たでしょ」と怒っていた。
今の「テレビでやるでしょ」とはちょっと違うのだ。
1980年代になると、TVシリーズの劇場版オリジナルも出てきたが、多くはTVシリーズの総集編+ちょっとだけ新作カットだった。
だけど、当時は家庭用ビデオデッキが普及していなかったので、それでも良かった。
しかし、21世紀になって、テレビ番組の録画は当たり前、見逃してもソフトがあるので好きな時に好きなだけ見ることができるようになった。
だから、TVアニメの映画化は、新作であるべきだし、そうあって欲しいのだ。
しかし、それでもTVシリーズの総集編が多いのは確かで、せっかく映画のために全話見て予習していったら、実は全く意味がなく、むしろ再度見せられて苦痛だったということだってある。
ここ最近だと「あの花」がまんま総集編で、真剣がっかりした覚えがある。
そして、「中二病」も、回想という形の総集編だった。
新作カットやTVの第2シーズンに向けての前フリがあるだけだった。
もうね、アニメファンはなめられてるよ。
明らかにモンキービジネスっぽいことやってても、ついてくるからね。
自分はアニメは好きだけど、同じものを何度も見たくないタイプなので、総集編は完全否定だ。
そもそも、テレビまんま上映の時代から、辛い時代を送ってきて、アニメビジネスも確立した現在に、何故昔に戻る必要があるの?
もうマジでどうでもいいわ。
これからテレビ番組の映画化の場合、「劇場版」って言葉は当たり前なので、どうでもよく、むしろ総集編かどうかだけ明確にしてほしい。
まだオリジナルDVDやTVシリーズの先行イベント上映の方が絶対に良いよ。
真剣、日本のアニメ映画に絶望しているよ。
で、総集編なのに初めて見る人には全くわからない構成になっており、既に見た人には物足りない。
特に後半のエピソードは今回の映画では何が何だか、全くわからない。
つまり、総集編だけでもダメなのに、総集編としても機能を果たしてないのだ。
京アニがこれってないでしょ。
とりあえず、深夜アニメの映画化連発が悪い方に行っているような気がする。
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