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2013年9月 6日 (金)

「マン・オブ・スティール」

Mos 自分の中でオールタイム映画の上位に上がってくるのは「スーパーマン」(1978)であり、これと「スター・ウォーズ」は映画の表現の可能性を証明してくれた貴重な映画だ。
 そうはいいながらも、シリーズは2作目までが面白く、それ以降は制作費も減っているのであまり面白くないことは認めざるおえない。
 昨今、アメコミのヒーローが映画化される中、当然最も有名で誰もが知っているスーパーマンを再映画化するっであろうことは容易に想像できてしまった。
 「ダークナイト」のクリストファー・ノーラン製作・原案で、「300 <スリーハンドレッド>」や「ウォッチメン」のザック・スナイダー監督で映画化と聞いて期待できないわけがない。
 もはやスーパーマンは古典の領域に入っているので、話筋なんかは誰もが知っている。
 楽しみなのは、それらをいかに解釈し、現在の映像技術で作るかだ。
 今回も基本的には最初はクリプトンから赤ん坊を送り出すところからスタート。
 1978年版がクリスタルを基調として明るかったクリプトンだが、今回はもっとダークな感じ。
 地球についた赤ん坊はジョナサン・ケントとマーサ・ケントに育てられるのだが、この映画では既に大人になっていて、時々思い出す形で過去が描かれる。
 超人的能力を使えず、周りとの違いに葛藤と孤独を感じていくのは、1978年版でも同じだが、今回の方がよりシビアでリアルだ。
 自分探しの旅で、自らの使命を確信。
 そうこうしているうちにゾッド将軍がやってくる。
 スーパーマンとゾッド将軍はそれぞれの考えの元で対立することになる。
 レックス・ルーサーは出てこない。
 いきなり超人同志のバトルになってしまうが、そこは21世紀の映像技術で、これでもかというくらい派手になり、彼らのせいで都市は壊滅状態になってしまう。
 スーパーマンの格好も青の全身タイツに赤マントと赤パンツではなく、ダークブルーの渋いデザインで、これもバットマンからのシリアス路線の流れかもしれない。
 アメコミのヒーローは何故、派手なコスチュームで人々の味方なのか、それをうまく説明できないと全く説得力がなくて大失敗なのだが、この映画はそれを物凄く丁寧に説明している。
 ゾッド将軍も単に悪い奴ではなく、彼なりのポリシーを持っている。
 いやはや、新しいスーパーマンも面白い。
 正直、ザック。スナイダーなので、スローモーションばっかりかと思っていたが、今回は1回も使っていない(と思う)。
 なんだ、やればできるじゃん…って言うより、実は才能の出し惜しみしてたか?
 出演はスーパーマンにヘンリー・カヴィル。
 ロイス・レーンにエイミー・アダムス。
 クラークの両親にケヴィン・コスナーとダイアン・レイン。
 エイミー・アダムスがヒロイン役って、少し年いってないか?と思ったが、それ以上にダイアン・レインが物凄い婆さんになっていたのに驚き。
 エイミー・アダムスと9歳くらいしか年がかわらないはずなんだけど。
 もちろん、老けメイクもあるのだが、「リトル・ロマンス」は遙か過去の話か。
 ケヴィン・コスナーとダイアン・レインの組み合わせは、80~90年代に「ロードショー」やら「スクリーン」を読んでいた世代には夢の組み合わせかも。
 ゾッド将軍はテレンス・スタンプの方がキャラが立ってたし存在感があって好きだな。
 しかし、あれだけ都市を崩壊させた後に、スーパーマンの能力が意外に役に立たないことは言うまでもない。
 あと、今回の話ってどちらかというとスーパーマンよりもクラーク・ケント誕生物語なんだけどね。 
 
 

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