「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯 -」
1961年に起きた「名張毒ぶどう酒事件」
無罪からの逆転死刑判決を下された奥西勝の苦悩と戦いを、実録ドラマとドキュメンタリーで構成。
今更だが、事件の概要をきっちりおさらいするには格好のマニュアルと言える映画。
改めて事件を考えると、不自然極まりないものがある。
警察に自白を強制されたと訴え、無実を主張し、1審は無実だったが、2審は逆転死刑判決。
最高裁で 死刑。
その後、ず~っと再審を求め続けている。
そもそも、唯一となる物証や関係人物の証言も確たるものではないにもかかわらず、何故か判決は変わらない。
半世紀以上前の事件であり、当時に比べて科学検証も明らかに進んでいるので、色々な真実がわかるはず。
実際、弁護団は色々な科学的検証を行い、当時の判断と違うことも指摘されている。
それらの状況は明らかに冤罪ではないかという可能性を示唆している。
この映画も制作側は冤罪ということを前提として話を展開させている。
しかし、一方では警察が総力を上げて(と思われる)捜査や、他人の人生を決める絶対的な裁判が、そうころころ決まったことを変えることはできない。
それらは絶対でなくてはならないのだ。
そりゃあ、裁判官も先輩が出した判決を翻すのは失礼だし、そんなことをしたら何を言われるかわからない。
不当な扱いだってありえる。
裁判官といえど、人間だし。
だけど、絶対でなくてはならないのだ。
逆に言えば、そうでないと我々の生活は誰も守ってくれるものがなく、常に不安を抱えて生きていかなくてはならない。
この事件は、不自然極まりないが、不自然を正しいと判断しているため、それを守るために必死な感じがする。
事件発生後、半世紀以上経過。
当時の関係者も亡くなりつつある。
いや、もっといえば奥西さえも高齢である。
おそらく、このまま飼い殺し状態で、ひたらすら全てが消えつつあるのを待っているのかもしれない。
この事件は真実があまりにも強烈すぎる。
だからこそ、ドラマパートが不自然であり、必要性を感じない。
どれだけ、仲代達矢や樹木希林が熱演しても、それが安っぽく感じられるのだ。
事件を追う記録メディアが白黒フィルム→SDビデオ→ハイビジョンと変化していくのと、弁護団の髪の毛が薄くなっていくのが、この事件がいかに長い間戦っているかを表しているのが興味深い。
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