「エンド・オブ・ザ・ワールド」
ある一定の世代にとってノストラダムスの予言は心に大なり小なりのインパクトを与えており、必ずどこかで「どうせ1999年には人類は滅亡する」という刹那的な考えを持っていた。
そのため、1999年の滅亡ネタの創作物がやたらと多かった。
特に1970年代は1999年というのが近すぎず遠すぎない未来であり、もし人類が滅亡しなかった場合、それを越えたら物凄い未来が待っているとも思っていた。
宇宙開発が進み、車はチューブの中を走り、ロボットが友達という未来だ。
しかし、1999年は普通に来てしまい何事もなかった。
予言に心を捕らわれていた世代の人間は、長年の呪縛から解放された。
同時にその後の21世紀は思った以上に輝かしい未来でもなかった。
1970年代に多感な十代を過ごして今や中年になってしまった彼らは、何か心にしこりを残しながらも残りの人生を生きていかなくてはならないのだった。
その後、2012年に世界が滅びるとかの話もあるのだが、さすがにノストラダムスの予言程インパクトもなく、もしろもう騙されないといった感じで完全スルーしている。
むしろ、その前に東北の震災があったので、そんなのは全く関係ないと思っているに違いない。
この映画は 小惑星の衝突による人類滅亡まで、あと21日となった地球を舞台に、突然、妻に去られた男と、最後の飛行機に乗り遅れて、両親のいるイギリスに帰れない女性のロードムービー。
男は今でも想い続ける高校時代の恋人へ気持ちを伝えるため、女性は両親の元に行くための飛行機に乗るため、旅を共にする。
これまたある一定の世代だと、終末=無法状態=モヒカン頭がひゃっは~なのだが、この映画は一応暴動っぽいことはあるものの、意外に淡々としている。
まあ実際21日後に地球が滅びるみたいなことになったら、会社に行かないくらいが精一杯の刹那的行動であり、意外に小心者なので無法者に徹することはできないかもしれない。
一番盛り上がるのは地球規模の吊り橋効果なので恋愛かもしれない。
ただ、それも人類滅亡まで後少しなのに、そこから始まる恋愛は死ぬ程辛い。
いや最終的には死ぬのだけど、この映画の最大のやるせなさはそこなのかもしれない。
出演はスティーヴ・カレルとキーラ・ナイトレイ。
スティーヴ・カレルのちょっとかわいそうなところは紹介される時に「40歳の童貞男」でお馴染みとか言われてしまうところなんだろうなあ。
この映画のキーラ・ナイトレイは真剣かわいい。
神よ、彼女にもう少し豊満な胸を与えたまえ。
監督は「キミに逢えたら!」の脚本を担当し、この映画がデヴュー作のローリーン・スカファリア。
同じ世紀末ものでも「メランコリア」よりも良かった。
だって普通に考えてキルスティン・ダンストよりキーラ・ナイトレイの方がかわいいでしょ。
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