「これは映画ではない」
タイトルだけ聞くと、昨今のシネコンを使ったライヴヴューイングとか、イヴェント上映、はたまた、テレビ番組の安易な劇場版のことかと思いきや、そんなネットの暇ネタではない。
デヴュー作「白い風船」でカンヌ国際映画祭カメラドール、「チャド ルと生きる」でヴェネチア国際映画祭金獅子賞、「オフサイド・ガールズ」でベルリン国際映画祭審査員グランプリと、3大映画祭を制した華々しい経歴の持ち主であるイランの ジャファル・パナヒ監督。
ところが、ここまでの偉業を成しながら反体制活動の罪を問われ、20年間の映画製作禁止を科されていた。
正に映画を撮らない映画監督!
いや、もちろん、そんな監督は世界中にゴロゴロしているだろうし、日本だって本業は映画監督なのに「トゥナイト」の風俗レポーターの監督だっている。
しかし、パナヒ監督はやる気満々で、今すぐにでもやりたいのに、国家が認めない。
この映画は、映画を撮れないパナヒ監督が自らの日常を、逆手に取ってブラックユーモアを盛り込み、「カンダハール」の助監督を務めたモジタバ・ ミルタマスブ監督とともに撮り上げている。
撮られていない次回作の脚本を元に自宅のペルシャ絨毯の上にビニールテープで間取 りを描いて説明する。
これは室内劇だとか一生懸命説明したと思えば、脚本を読むだけだったら映画にする意味がないと悩んだりしている。
いや、確かにその通りなんだけどね。
撮影する機器がiphoneというのが今風というか、確かにスマホでも十分映画ができてしまう昨今だ。
とにかく反骨精神とユーモアが一緒になった不思議な感じで、自宅で密かに撮影した映像を、協力者がUSBファイルで持ち出して、一般の目に触れるようになったわけだが、こうやって公開されても「これは映画ではない」というのは、正に最大のギャグであり、皮肉であり、反骨精神だ。
そもそも映画って何?と聞かれても、誰も明確に答えることはできない。
フィルムで撮影するのが映画かといえば今やデジタル化してフィルムでの撮影が珍しくなっているし、映画館で公開しているのが映画かといえば、それも微妙だ。
そうなると、作っている人が断言するしかないもかもしれない。
そして、この映画はいくら「これは映画ではない」と言われても、何よりも映画として成り立っている。
だけど、とりあえずイランの政府には「これは映画ではない」と言っておくことにする。
しかし、「ペルシャ猫を誰も知らない」でもそうだが、芸術活動も命懸けだな。
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