「北のカナリアたち」
日本映画における吉永小百合の存在は不思議だ。
とにかく、彼女の役は実年齢よりも遙かに若い年齢の役で、何故か若い男に好かれるというのが多い。
例えば「北の零年」では、北海道で女の数が絶対的に少ないとはいえ、若い石田ゆり子(B83-W59-H85)を差し置いて、多くの男に言い寄られている。
「母べえ」では浅野忠信が彼女に恋心を抱いているという設定。
どんだけ、ババコンなんだよ…とツッコミを入れたくなるが、彼女の出ている映画の〈世界〉ではそういうものなのだ。
だけど、どんどん浮いてきているのは確かで、もうそろそろ彼女の存在が映画の雰囲気を壊している感じがする。
「北のカナリアたち」は、かつての教え子の一人が事件を起こしたことに疑問を抱いた元教師が、当時の受け持っていた生徒に会いにいくが、久しぶりに再会した彼らの口から語られるのは、それぞれが抱えていた今でも心に残る後悔だった….という話で、それぞれの証言がわかってくるうちに真実が明らかになっていく。
生徒6人の話はいいのだが、実は主人公も心に閉じこめている想いがあったというのだが、それが夫公認の若い男との密接な関係なのだが、実はこの映画の中で一番よくわからないところ。
何故、二人がそういう関係になったのかがわかりにくい。
他のところは比較的丁寧に描いているのに、ここの部分はあまりにも軽く流していて、その割には重要なパートなので違和感ありまくりだ。
そしてこれは意外な展開というよりも唐突すぎて物語のバランスを崩している。
かつての6人の生徒の大人役は、森山未來、満島ひかり(B75-W60.5-H89)、宮崎あおい(B77-W57-H82)、松田龍平、小池栄子(B91-W59-H87)、勝地涼…という主役級が勢揃い。
そのせいか、クレジットは出演順という角の立たない配慮がされている。
ところが、そんな中でも吉永は20年前も現在も同じような雰囲気の年齢不詳な感じで出るので、彼女だけ別次元の生命体のような感じになっているのだ。
さらには彼女の夫役が柴田恭兵で、妙に老けた感じなのに、吉永が妻役で若作りで(←年の離れた夫婦?)、さらには仲村トオルと深い関係という不自然さ。
どちらかというと彼女の父親役の里見浩太朗が夫役の方が極めて自然だ。
監督は「大鹿村騒動記」の阪本順治。
映画そのものは若干ツッコミ所はあるにせよ、悪くないと思う。
何よりも吉永小百合が不自然。
役者は演じることにより、実年齢とは違う役になりきることができるというのはわかる。
しかし、彼女の役には限界があるし、もうそろそろ無理な役よりも、自然な役を演じてもらおうよ。
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