「CUT」
その昔、まだビデオが普及していない頃、自主映画を作るための媒体はフィルムだった。
フィルムと言っても8ミリか、16ミリで、安くお手軽に作ろうとしたら、8ミリフィルムだった。
ビデオがすぐに確認できて、消去して再度使えるのに比べ、フィルムはとにかく高い。
3分前後しか撮影できないフィルム代と現像料金は別だし、現像も上がってくるのが1週間近くかかるし、映写機にかけて、ピンボケや不本意な場合は撮影し直し。
あまりにも非効率的だが、当時は極めて当たり前だと思っていた。
そのため、自主映画を作る人はひたすらバイトをしなくてはならなかった。
こういうのは、青春のはしかみたいなもので、就職するとやめてしまったり、時々、遊びで休みに撮影をする程度になってしまう人が多い。
いわゆる日曜大工ならぬ日曜映画作家というやつだ。
ところが、中には自主映画を作るために、就職せずフリーターになってしまう人もいた。
自主映画を作るのにフリーターというのが自分には全く理解できなかった。
何故なら出演者やスタッフは普段は働いているので、撮影日は土日か祝日。
自分も制作費を稼ぐために平日はバイト三昧。
そうなると同じ働くなら正社員でもいいんじゃないかと思ってしまう。
いや、もっといえば、自主映画もいいけど、ちゃんと映画制作の仕事をした方がいいのではないかと思ってしまうのだ。
おそらくこういうような人は日本全国にいるだろう。
そして、中にはこういう経緯を経て立派な映画監督になった人もいるかもしれない。
しかし、自分の周りにはそんな人は誰もいない。
全員、何者にもなれずに終わっているのだ。
この映画の主人公は、売れない映画監督だ。
映画への情熱は人一倍あり、名作の上映会を開催したりしている。
いつも兄からお金を借りて映画を撮っていたが、その兄が借金のトラブルで死んでしまう。
実は彼の映画の資金は兄がヤクザから金を借りていた。
死んだ兄への自責と残った借金を返すために、彼はヤクザ相手に殴られ屋をすることにした。
痛い。
主人公があまりにも痛すぎる。
それは殴られ屋としての物理的なものよりも、彼の行動や思想的なものである。
シネコンで上映される金儲けのクソ映画によって葬り去られようとしている、芸術であり娯楽である「真の映画」を守れ。
主人公が声高く叫んでいる。
ところが、この「真の映画」というのが具体的に提示されていない。
何となく出てくる過去の映画だが、これはもう明らかに本人の思いこみでしかなく、確かに名作と言われる作品ばかりではあるが、説得力に乏しく大きなお世話なのである。
特に自分は<シネコンで上映される金儲けのクソ映画>が大好きなので、物凄く違和感を感じた。
そもそも金儲けのクソ映画でも、多くの人が時間と金を使っていいと思わせる映画を作ることがどれだけ凄いことかが全く考慮されていない。
いやもっと言えば、主人公と兄の関係が明確になっていないため、殴られ屋をするまでの心理状況がわからない。
ただ映画はやたらめったら勢いがあるため、そんなツッコミ所はあまり気にならない。
共感できないところが多すぎるが、妙な面白さがある。
監督のアミール・ナデリがどう考えているかはわからないが、自分の中では、この映画の主人公は「ゆきゆきて、神軍」の奥崎謙三と同じ場所にいる。
徹底した映画バカ一代っぷりが、情けないが清々しい。
演じている西島秀俊の鬼気迫る演技も素晴らしい。
屈折した映画愛が満載!
何か間違った方向で映画監督になろうとしている人には是非とも反面教師として観てもらいたい。
ポスターにある「映画のために死ね」だが、自分は映画のためには死ねないことを実感した。
参加してます。よろしくで~す
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