「いちご白書〈デジタルリマスター版〉」
相撲、野球に次いで3番目に休みが多いと言われる大学生は、無駄に時間があるせいか、どうでもいいことばっかり考えている。
冷静に考えてみたら4年間なんてすぐに終わるので忙しいはずなのだが、その時はわからない。
高校受験から解放され、比較的自由な授業体系、全くないに等しい学校規則、本来なら学問を極めてもいいものなのに、アルバイトとコンパ、サークル活動の間に学校に行っているような状態になってしまうのだ。
さらにイッパシのオトナ気分だから、自分が何でもできてしまうし、今はできなくても将来はできると何の根拠もなく思い込んでしまうことも多く、結局、何者にもなれないのだが、この勘違いぶりが学生の特権だ。
この映画はどちらかというと、映画そのものよりもバンバンの「『いちご白書』をもう一度」の歌で有名で、タイトルは知っているが、映画は観たことないという人が意外に多いのではないか……って、それは自分のことなんですけどね。
今回、かつての話題作を41年ぶりにニュープリント&デジタルリマスターで観ることができるのは嬉しいことである。
1960年代末~1970年代始めは学生運動真っ盛りで、日本だけはなく、アメリカでも同じように立て籠もったり、暴れたり、討論したりしていた。
この映画の主人公サイモンは、ボート部員の学生で、政治や学生運動に関心がなかったのだが、活動家の女子大生を好きになって、積極的に闘争に参加するようになるという話で、当時の無駄に熱い学生運動の様子がよくわかる。
彼らが大学の寮でストライキする理由は、大学が近所の貧しい子供たちの遊び場になっている土地に軍の施設を建てようとしているからで、それに社会不安や政治状況が絡み、闘争に発展していく。
すっかり荒んだ社会人の自分から見ると、どうでもいいじゃんと思ってしまうのだけど、学生時代ってそこまで割り切れるものではなく、自分たちの力で何かが変えれると、何の根拠もないのに思い込んでしまう。
だからこそ、床を叩いて歌えるのだ。
この映画も当時の時代背景や、自分の観た年齢で感じ方が大きく変わるかもしれない。
当時、映画の主人公と同じ年齢の人が観るのと、それから何十年も経って観るのでは大きく違うだろう。
社会人になって数年後だと、こっ恥ずかしいかもしれないし、さらに時間が経過すると懐かしさと青春の酸っぱさだけが残るだけかもしれない。
立場が違えばというやつだ。
正直、この映画に出てくる学生のやっていることは微塵も賛成できない。
一方では妙な連帯感はうらやましくもあり、懐かしいものがある。
もちろん、自分は学生運動をしていたわけでもない。
ただ、あの気持ちはわからないではないのだ。
目的のため多少はハメをはずしても皆で何かをやる。
体力があるので少々の無理も平気。
こんな気持ちが今あるかといえば、ないとしか言いようがない。
あるとしても遥か深層心理の下の方だ。
そして、この映画はそれを探り出してしまう不思議な何かがある。
主人公の恋愛もぎこちないものがあり、食料買い出しを二人でいきながら話しているうちに距離が縮まりつつあるのには眩しく恥ずかしいものがあった。
そして流れる名曲が映画を盛り上げる。
出演はブルース・デイヴィソン、キム・ダービー、バッド・コートって、すいません、誰も知りません。
監督はスチュアート・ハグマン。
結局、この人も今何やってるの?一発屋?
字幕で「巨乳」と言う言葉がでてきのだが、当時を考えると「デカパイ」や「ボイン」が望ましいと思われる。
う~ん、結局、自分はこんなところだけが中学生くらい若いな。
参加してます。よろしくで~す
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